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2016年7月19日火曜日

危険感受性

感受性(かんじゅせい)とは - コトバンク 

 環境内の事象の変化を刺激として感受する能力を感度,刺激に対して興奮しやすい性質を感受性という。また,感覚の刺激の強さの差を識別する能力,すなわち弁別しきい値が低いときに,感受性が高いとか鋭敏だとかいう。
平均的な人間が感受できる値は人それぞれで、平均以上に敏感であれば感受性が高い。逆に鈍感なほど低いということになる。
 例えば、余裕で泳ぎ切ることができない川幅、流れの速度、水深を考えずに泳ぐ人は危険感受性が低い。逆に見ただけでこりゃー危ないと身震いしてしまう人は危険感受性が高いといった具合。

 運転にしても、自分さえ良ければ周りなんて、後ろを走っているひとなんてどうでもいいとか、昨日も遭遇したが、路側帯を追い抜いていくクソライダー。自分は大丈夫だと考えているけど、外的要因によって自分の行動が中断されるということを考えていない。自分が良くても、他の人が迷惑ならそれによって簡単にその行動を阻止されるという可能性を考えていない。馬鹿には言っても分からないだろうから、関わらないというのが一般論。関わったところで時間の無駄。


 さて、運転にしても、レジャーにしても、遊びにしても、街中を歩くにしても、自転車を乗ることにしても、この危険感受性が低いことは、自分もしくは他の誰かの生命の危険を誘発する。馬鹿が自分の命を断つのは勝手だが、これが結果として自分の大事な家族だったり、意図するほどの頭を持たない馬鹿のせいで誰かの命を奪ったりする事故や事件は日常的に起きている。
 危険感受性は感性であり、惹起者(事故を起こした本人のこと。「じゃっきしゃ」と読む)の学歴や知能指数。リア充か非モテか。筋肉馬鹿か、ガリガリのモヤシかは関係ない。 周りを見ているか。周りの何を見て、どう感じて、自分に対してその周りで起きている事象が自分にどのように作用を与えるかを予測する感覚であって、知能や身体的、社会的立場、幸せな家庭を作って子供も居るか、独身で一人部屋で悶々としてるかの違いはない。
 何を見て、どう感じ、物理法則に当てはめて「何を、どのようにしたら、どうなるか」を予測する力だけ。人に教えてもらっても身につくかもしれないが、性格に左右される能力なので関心がなければ身につかない。
 子供の頃からその都度、解るように事象の流れを教え込めば、それを無意識に実践できるようにはなる。年寄りが周りを見ないで道路を横断したり、死角から飛び出したり、どう考えても間に合わないタイミングで道路に出てくる事故が多いけど、考えが固着してしまっている老人には習得は難しいのかもしれない。
 大人だって、子供の頃から親が言い聞かせないで居ると、周りの迷惑になることが何であるか分からない。周りに迷惑をかけても、自分がそれで死ぬようなことはないと思っているのかもしれない。親が馬鹿だと子供は早死にするし、子供がそれで死ななかったとしても、親が死ねば子供は不幸だ。結果的に死んだ方も残された方も不幸だ。

 世の中にはルールがあり、法律があって禁止されている行動がある。自制の範囲内で、誰にも迷惑がかからず、誰にも知られず、自分が自分の楽しみだけで、誰も居ない場所で何かを行なうというのは、世の中では知られていないだけで、別に珍しくもないことだと思う。結果として事故や事件にならないから発覚しないわけで、結果としてそれが知られることがないから、誰にも迷惑が掛かっていない。
 これには合法的な範囲内でさえ、実際には周りに迷惑がかかりまくっている事象もあり、それが起因となって事件が起きることもある。例えば幼稚園の騒音問題。喫煙所付近の煙草の煙。飲食店の換気扇から出る煙や市街地でのBBQの煙。過度な香水や芳香剤。悪臭を放ち不潔な身なりで飲食店に入る。飲食中にウンコして、臭いを纏わせたまま席に戻ってくる。昼時にカウンター席を勧められたのに老人が一人でテーブル席を占領するなどがそうだ。場合によってはキレた人間に何かされることもあるし、単に注意しても逆ギレして返り討ちに合うみたいなこともあるかもしれない。

 つまり、「馬鹿なの?死ぬの?」という言葉は「概ね正しい」ということになる。 お勉強ができる出来ないの違いは関係なく、賢いか馬鹿かということ。学校の勉強で役に立つことは3分の1も無いが、普段の生活で困らない程度の計算や国語力は身につくけばいい。でも、学校では危険感受性について、身に付くほどのことは教えてくれないだろうし、学校の先生も普通の人だから、聞かれれば答えられる人も居れば、事例を挙げられるほど即答できない人もいるだろう。運転免許の有無に依っても、道路交通法の知識があるか、無いかほどの違いもある。人と車の分離は完全にできていない世の中なので、道路交通法は小学校低学年できっちり教えても良いと思う。
 その授業は自由参加だが、普通自動車運転免許の取得と同等の学科試験までやって、合格できれば、公安から何か特典を与えても良いと思う。
 いや、学校じゃ無理か。自動車運転免許センターでやったらどうだろう。車と同じようなICチップ入り運転免許証で、免許のところだけ歩行者・自転車になってるやつ。お遊び程度の講習会で貰える自転車の運転免許証ではなく、本格的なやつ。交通事故を減らせるという点で、費用は免除。それに掛かる費用の負担は行政からでも、我々ドライバーに負担させてもいいんじゃないかな。子供らの交通マナーが良くなれば、ドライバーにとってもプラスになる。

 あと、他にはアウトドア免許みたいなもの。一定以上のスキルや知識があれば、許可や届出をしなくても、好きな山の中を自由に歩けるやつ。遭難や滑落・転落といった事故防止や、逆にその付近に居れば協力できることだってあるわけで。携帯電話なども登録しておいて、事故発生地点から最も近い人に連絡が取れるわけで、ヘリが飛ばせない場所でも、その付近に居る人が周囲の状況をリアルタイムで報告ができる。

 何にしても、普通の何も出来ない人に比べて、色々とやってる人は資格や技能を活かして色々と感受性が高いわけで、その事象に見合った判断も容易。それに見合った特典が有れば、自分もその資格を取ろうと勉強もするようになるし、周りを見るようにもなると思う。

 結果として、歩きスマホのような危険感受性ゼロの人が減れば、それはそれで周りに迷惑がかからなくなるし、歩きスマホを轢くような可哀想な加害者も減る。親だって、子供が歩きスマホで車に轢かれたり、駅のホームから転落するという馬鹿な事故の心配が減る。

 世の中がもっと危険感受性の高い人で溢れたら、色々と事件や事故が減るかもしれない。 まぁ、夢のまた夢でもあるが・・・

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