あおもりくまブログアクセスカウンター

2010年6月6日日曜日

朝から血生臭い光景でダークな気分

まぁ、食うもの食われるものの関係だしな。
※飼い猫は生態系から外れているので捕食者としては認められず

それにしても・・・だ。
ニンゲンもスズメも、その他の動物も注意散漫な者ほど命を落としたり、捕まったり、怪我したりする。
その上で生き残ったものだけが学習をして生き残れる。

子供のころに普通なら死んでるとか、あの時に死んでたかもなんて経験をしてたり、材木や資材置き場を駆け回ってたオラにしてみれば、危険と共存していたんだなと思う。
山菜取りを始めて音が全方位のレーダーとして機能していたり、野鳥相手にコミュニケーションを取るようになってから気配で先読みしたり、最低のクソ上司に虐めを受けて鬱病になってからは相手の思考を気配と臭いで読むのも経験から必要とされて習得した。

臭いや気配。表情や目線。状況による危険予知というものも経験や感覚能力のひとつとして動物であれば元から持っているものなのかも。
読めると言うことで気配として出したり表現できるのも時間は必要なかったし、それは野鳥で散々実証している。

この死んだ子チュンもほんの少し学ぶ機会が遅かったこと。
ネコに襲われるという行為が最初で最後の機会であったこと。
3兄弟で親の目が行き届かなかったこと。
そして運も少しはあるのかな。

いま、外で2羽になった子チュンが親にエサクレしてたけど、この残された子チュンから見れば競争相手が減ったことでメシにありつける回数が増えたってこと。単純にコトのヨシアシを判断しないからな。
すべては生き残って子孫を残す為に生きている連中だ。
親チュンにしてみれば残念だけど、これでしばらくはネコも満足して狩りはしないだろうということ。
子供の数が多かったからまだ2羽を独り立ちさせる機会はあるし、最悪でも1羽は独り立ちするかもしれないってこと。なーに、子供が巣立ち完了したり全滅しても秋までには3~4回くらいやり直しができる。

その一方でニンゲンってのは経験よりも言葉や文字・映像や音という記録から学ぶ機会が多い。
でも、経験で覚えたことはニンゲンであれ何であれ絶対に忘れない。

世の中から経験として学べる機会を、遊具が危ないからとどんどん排除して、危険の経験の機会を失った子供は体験を失い、それを経験せずに大人になる。
馬鹿な親が散々身の回りから危険を排除した結果、自分の子供たちが危険を経験する機会を失うっていうのは皮肉としか言いようが無い。

ニュースを見ると普通に考えたらありえない事故で死んでるのはそれの顕れであって、危険を片っ端から排除した生物がこれほど簡単に死んでしまうのは経験不足以外の何物でもないのは普通なら結論に達する事実だ。
小路から勢いよく道路に飛び出してくる自転車なんか珍しくも無い。
仮にそれで轢かれなかったとしても、歩道を歩いていた人にぶつかって怪我をさせるかもしれない。
そうなれば加害者だ。どちらに転んでも痛いに違いない。

今日の子チュンも、周囲をちゃんと確認せずにクロネコの目の前に下りてしまった為に短い人生を終えてしまったわけで、経験も何も蓄積されない。
ただそれだけだったけど、世の中にはチュンだろうが何だろうが死ぬときには死ぬだろうし、怪我で済んで今後に活かせることもあるだろうし、経験の機会を失って大人になってから馬鹿な死に方をするのも居る。

死んだら終わりで後が無い。

0 件のコメント:

コメントを投稿